Google Analyticsのアクセス解析によれば、「ソフトボールのルール(1)」のページビューは8月20日が756、21日が698、22日が346でした。
このページにGoogle Analyticsのトラッキングコードを埋め込んだのは昨年の11月です。これまで1日のページビューの最多は6月9日の368でしたので、大幅に記録を更新したことになります。言わずと知れたオリンピック効果です。
ページビューがほぼ均等になる7月初めの10日間とその内容を比較してみました。
●08/08/20-22の3日間
1800 ページビュー
1497 ページ別セッション
03:09 ページ閲覧時間
80.67% 直帰率
75.06% 離脱率
参照元 1060 Yahoo! 667 Google 65 Live 次に表示されたページ 139 ソフトボールのルール(1) 89 ソフトボールのルール(2) 14 ルールのページ
●08/07/01-10の10日間
1796 ページビュー
1330 ページ別セッション
04:12 ページ閲覧時間
69.36% 直帰率
62.97% 離脱率
参照元 1660 Yahoo! 376 Google 62 MSN 次に表示されたページ 156 ソフトボールのルール(1) 155 ソフトボールのルール(2) 16 殿堂>西*
予想どおりです。“五輪特需”の期間のほうが、閲覧時間は短く、直帰率や離脱率は高くなっています。
ところで、ソフトがオリンピック競技になったのは野球が正式競技に昇格した1996年アトランタです。男子の野球と女子のソフトがペアになったわけです。もともとソフトは野球から派生した競技ですが、別の競技がペアになるのは異例のことです。
夏季五輪の期間中、ドリームチームのNBAはオフですが、MLBは公式戦開催中です。MLBが五輪参加に消極的なのは、彼らがプロである限り当然のことであって、批判される筋合いはありません。MLBが消極的である以上、IOCサイドが正式競技から外そうとするのも当然のことです。IOCに非はありません。
というわけで、私は野球が五輪から除外されるのは「やむなし」との立場なのですが、ソフトは野球とのペアではなく男子ソフトと女子ソフトという本来の姿で独自に「復活」の道を探るべきだろうと考えています。
ソフトの関係者は「復活」を野球に頼ろうとしてはいけません。NPBも本音はオリンピックなどどうでもいいのです。むしろ邪魔だったりします。はっきり言えば五輪というイベントはペナントレースの商売敵ですから…。
1つ1つならスルーできるのですが、今回は複合要因によりNGメールとします。
[ 名前(必須) ]
22-88[ メールアドレス ]
******@docomo.ne.jp[ 件名(必須) ]
そんなに大袈裟なミスではないと思いますよ。[ 本文(大)(必須) ]
時々当ホームページを拝見させて頂いているものです(特に高校野球予選時などに)。指名打者の下りのページで
(厳密にはどの選手の代わりに入れてもかまわない)。の文面は只単純に、
どの選手の→どの選手を のミスでしょう。
話は変わって筆者(ホームページなので作成者?)様はどのような職業に就かれておりますか(私もスコアブックは記せるものなので、野球の地方地区大会観戦旅行など楽しんでみたいと思ったもので、その際御家族の方は協力的ですか)?
まず、誤りではないかというご指摘は歓迎します。「セットポジション」は230ページほどありますが、私は「どのページに関することなのかお書き添えください」とは要求していません。もちろん、あったほうがいいのですが、なくてもだいたいわかるからです。どうしても特定できないなら、サイト内検索をかけるだけの話です。
今回の場合、「指名打者の下りのページで」とありますが、「指名打者ルール」のページではありません。このフレーズは「剽窃事件の顛末」のページに出てきます。そもそも私が書いた文章ではありませんし、前後の文脈からしても「の」と「を」を取り違えたものではありません。まあ、結果として誤りではなかったとしても、それだけでNGメールになるわけではありません。
質問が2つあります。いずれもプライベートなものです。私が「セットポジション」を始めた頃、大半のWebサイトには管理者のプロフィールに関するページがありました。今でもブログには初期設定でそういうスペースが儲けられています。「んだ」等では外していますけど…。
「セットポジション」ではプロフィールのページをつくりませんでしたが、断片的な情報はあちこちに散りばめてあります。職業については、すくなくともWeb上で明言するつもりはありません。可能性としては極めて低いのですが、取引先に累が及ぶことも考慮しておかなければならないと考えているからです。
今回のメールにけっして悪意を感じているわけではありませんが、ミクシィやゆびとま等で実名登録している人がいるのも現実です。どこから辿られるかわからないわけです。
さて、返信しようとして、脱力感に襲われてしまいました。携帯アドレスだったからです。携帯で閲覧されているのかどうかはわかりませんが、「セットポジション」はPC用のサイトであって、携帯サイトではありません。テキスト中心のサイトですから、携帯サイト化しようと思ったことはありますが、会社別に3種類つくらなければならないようですので、とても手に負えません。
実際には携帯からのアクセスもすでに無視できない量になっているのですが、対応するだけの時間がありません。また、テキストサイトといえども長文が多いことから、携帯での閲覧は不向きだろうとも思われます。
すぐにできることではありませんが、将来的にはタイトルのようなページをつくりたいと考えています。久慈次郎や第1回日米大学野球の死亡事故、いわゆる佐野事件、05年の京田辺ボーイズなどとともにフォローしたいと考えています。類似例をご教示いただけると幸いです。
野球部練習中倒れ後遺症、元部員が神村学園提訴
(http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/national/20080808-OYS1T00415.htm)鹿児島県いちき串木野市の神村学園高等部の元野球部員、厚ケ瀬翔斗(しょうと)さん(21)(鹿児島県鹿屋市)が、練習中に熱中症で倒れ、後遺症が残ったのは学校側に安全配慮義務違反があったとして、同校を経営する学校法人・神村学園を相手取り、約1億740万円の損害賠償を求める訴訟を鹿児島地裁に起こした。
訴状によると、野球部は厚ケ瀬さんが1年生だった2003年8月22日、地区大会で敗退。当時の男性監督は部員に、罰としてグラウンドを100周(1周200メートル)走るよう命じた。午後6時半ごろ走り始め、厚ケ瀬さんは同8時過ぎ、86周目で意識を失って倒れ病院に運ばれた。重度の熱中症による低酸素脳症で1か月以上意識が戻らず、約半年間入院。手足のまひや記憶障害などが残り、現在も通院しているという。
同校は05年春の選抜大会で準優勝し、07年夏も県代表として出場。監督は今年3月に依願退職している。
(2008年8月8日 読売新聞)
神村学園を提訴 1億円請求 2008年08月08日
(http://mytown.asahi.com/kagoshima/news.php?k_id=47000000808080002)神村学園高等部(いちき串木野市)の硬式野球部で03年、練習中に無理なランニングを強いられるなどして熱中症となり後遺障害が残ったのは学校側に重大な過失があるとして、元野球部員の男性(21)=鹿屋市新川町=が7日、学校を経営する学校法人神村学園と神村裕之・代表者理事長を相手取り、約1億740万円の損害賠償を求める訴訟を鹿児島地裁に起こした。
訴状などによると、男性は同学園の硬式野球部に所属していた03年8月、公式戦後に学校に戻り、当時の監督から「試合に負けたため」として1周200メートルのグラウンドを100周走るよう他の部員とともに命じられた。男性は途中で意識を失い病院に運ばれたが、重度の熱中症にかかり、低酸素脳症、高次脳機能障害となるなど、後遺障害が残り、現在も通常の仕事をする能力が失われた、と主張している。
神村理事長は「訴状が届いておりませんのでコメントできませんが、誠意を持って対応します」とのコメントを発表した。
元野球部員が練習中に倒れ後遺症と提訴
(http://www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20080807096.html)2003年8月、硬式野球部の練習中に熱中症になり、脳などに後遺症が出たのは、学校の安全配慮義務違反によるものとして、当時、神村学園(鹿児島県いちき串木野市)の高校一年だった男性(21)=同県鹿屋市=が7日、同学園に約1億円の損害賠償を求める訴訟を鹿児島地裁に起こした。
訴状によると、男性は03年8月22日夕、出場した地区大会の試合に敗退後、当時の監督からほかの部員とともに1周200メートルのグラウンドを100周走るよう命じられた。90周目辺りで重症の熱中症で倒れて約1カ月にわたり意識を失い、その後、手足のしびれや、記憶の障害など脳機能の低下が残った。
男性は、学園側には十分な休息を取りながら練習させるなど、熱中症に対する万全の注意を払う義務があったなどとしている。
男性は中学時代に所属していた野球チームで主力として活躍し、高校に特待生として入学。将来はプロ野球の選手を目指していたという。
神村学園は「訴状を読んでおらず、コメントすることはない」としている。 [ 2008年08月07日 20:55 ]
主旨はご理解いただけると思いますが、移動中のバスが交通事故にあったなどという情報は求めていませんので、念のため。
大阪桐蔭が優勝しましたので、ウラも決まりました。昨年の倉吉農に続いて、今年はお隣・島根の出雲農林でした。実は昨日、91年~07年ウラ優勝校の今年の予選成績を加えたついでに、次のように書き添えていました。
08年は
常葉菊川Vなら、開星12-1大社8-4益田東9-0邇摩4-0益田翔陽10-0出雲農林
大阪桐蔭Vなら、香川西3-1高松商10-0高松高専8-1高松中央13-9高松6-3香川中央
更新情報は出さずにこっそり追加しておいたのですが、ご指摘のメールが2通ありました。本当は逆だったのです。準決勝のスコアが同じ9対4だったので、たどり方を間違ってしまいました。失礼しました。
過去の戦績を調べてみると、出雲農林は02年には江の川に勝ったことがあります。江の川は翌年の本大会ベスト4です。
06年ウラVの岩泉田野畑は大東高校(一関市)に2度負けていますが、出雲農林は大東高校(雲南市=旧大東町)に2度勝っています。大阪府立大東高校(大東市)は南寝屋川高校と統合されて緑風冠高校になっているようです。
1968年夏終了時の都道府県別春夏通算勝率は次のとおりです。
山形 0-13 .000
福島 2-11 .154
滋賀 3-16 .158
石川 5-17 .227
鹿児島 9-28 .243
佐賀 7-19 .269
茨城 7-18 .280
福井 13-32 .289
山梨 6-14 .300
青森 7-16 .304
1969年春の1回戦で三沢高校は小倉高校を4対2で破りました。これで青森は8勝17敗の.320となり、テイクオフを果たします。同年夏の三沢は4勝しましたので、この時点では12勝18敗の.400で、なんと27位です。前後は静岡、東京、群馬、奈良、青森、大分、宮城という並びになります。
これをピークにして青森は暗黒時代に突入し、やがて“3番目に弱い県(45位)”に定着します。流れを変えたのは1999年夏の青森山田(ベスト8)と翌2000年夏の光星学院(ベスト4)でした。00年夏には23勝50敗の.315で一気に39位まで駆け上がったのですが、38位の石川は.355でした。
以後、コンスタントに勝ち星を積み重ねてこの大差を縮め、ようやくこの夏に秋田を抜いて38位となりました。テイクオフまで、あと0.5ゲーム差です。09年春に青森がテイクオフを果たすための条件は、青森が1勝1敗で石川が出場せず(初戦敗退も可)、秋田が1勝以下のときです。青森が出場せず、石川が初戦敗退で、秋田が初戦敗退か出場なしでもテイクオフです。
というわけで、「いつか、テイクオフ」のページを定期更新しました。
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