主に「セットポジション」の更新情報をお知らせしているワトソン君のメイン・ブログです。
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Posted by ワトソン君 - 2008.08.21,Thu

すぐにできることではありませんが、将来的にはタイトルのようなページをつくりたいと考えています。久慈次郎や第1回日米大学野球の死亡事故、いわゆる佐野事件、05年の京田辺ボーイズなどとともにフォローしたいと考えています。類似例をご教示いただけると幸いです。

野球部練習中倒れ後遺症、元部員が神村学園提訴
(http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/national/20080808-OYS1T00415.htm)

 鹿児島県いちき串木野市の神村学園高等部の元野球部員、厚ケ瀬翔斗(しょうと)さん(21)(鹿児島県鹿屋市)が、練習中に熱中症で倒れ、後遺症が残ったのは学校側に安全配慮義務違反があったとして、同校を経営する学校法人・神村学園を相手取り、約1億740万円の損害賠償を求める訴訟を鹿児島地裁に起こした。
 訴状によると、野球部は厚ケ瀬さんが1年生だった2003年8月22日、地区大会で敗退。当時の男性監督は部員に、罰としてグラウンドを100周(1周200メートル)走るよう命じた。午後6時半ごろ走り始め、厚ケ瀬さんは同8時過ぎ、86周目で意識を失って倒れ病院に運ばれた。重度の熱中症による低酸素脳症で1か月以上意識が戻らず、約半年間入院。手足のまひや記憶障害などが残り、現在も通院しているという。
 同校は05年春の選抜大会で準優勝し、07年夏も県代表として出場。監督は今年3月に依願退職している。
(2008年8月8日  読売新聞)

神村学園を提訴 1億円請求 2008年08月08日
(http://mytown.asahi.com/kagoshima/news.php?k_id=47000000808080002)

 神村学園高等部(いちき串木野市)の硬式野球部で03年、練習中に無理なランニングを強いられるなどして熱中症となり後遺障害が残ったのは学校側に重大な過失があるとして、元野球部員の男性(21)=鹿屋市新川町=が7日、学校を経営する学校法人神村学園と神村裕之・代表者理事長を相手取り、約1億740万円の損害賠償を求める訴訟を鹿児島地裁に起こした。
 訴状などによると、男性は同学園の硬式野球部に所属していた03年8月、公式戦後に学校に戻り、当時の監督から「試合に負けたため」として1周200メートルのグラウンドを100周走るよう他の部員とともに命じられた。男性は途中で意識を失い病院に運ばれたが、重度の熱中症にかかり、低酸素脳症、高次脳機能障害となるなど、後遺障害が残り、現在も通常の仕事をする能力が失われた、と主張している。
 神村理事長は「訴状が届いておりませんのでコメントできませんが、誠意を持って対応します」とのコメントを発表した。

元野球部員が練習中に倒れ後遺症と提訴
(http://www.sponichi.co.jp/society/flash/KFullFlash20080807096.html)

 2003年8月、硬式野球部の練習中に熱中症になり、脳などに後遺症が出たのは、学校の安全配慮義務違反によるものとして、当時、神村学園(鹿児島県いちき串木野市)の高校一年だった男性(21)=同県鹿屋市=が7日、同学園に約1億円の損害賠償を求める訴訟を鹿児島地裁に起こした。
 訴状によると、男性は03年8月22日夕、出場した地区大会の試合に敗退後、当時の監督からほかの部員とともに1周200メートルのグラウンドを100周走るよう命じられた。90周目辺りで重症の熱中症で倒れて約1カ月にわたり意識を失い、その後、手足のしびれや、記憶の障害など脳機能の低下が残った。
 男性は、学園側には十分な休息を取りながら練習させるなど、熱中症に対する万全の注意を払う義務があったなどとしている。
 男性は中学時代に所属していた野球チームで主力として活躍し、高校に特待生として入学。将来はプロ野球の選手を目指していたという。
 神村学園は「訴状を読んでおらず、コメントすることはない」としている。 [ 2008年08月07日 20:55 ]

主旨はご理解いただけると思いますが、移動中のバスが交通事故にあったなどという情報は求めていませんので、念のため。

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Posted by ワトソン君 - 2008.04.13,Sun

「殿堂」の「野村克也」のページに「通算1000試合以上またはリーグ優勝2回以上」の監督のリストがあります。『ベースボールマガジン』99年夏季号をベースにして、その後の成績を加えたものです。

同誌によれば、山本浩二氏は1989年から1993年までの5年間カープの監督を務め、この間の成績は「332勝312敗11分」だったことになっています。この数値は地元紙「中国新聞」のWebサイトに掲げられている数値と一致します。
 http://www.chugoku-np.co.jp/Carp/50y/retu/9/990928.html

同氏はその後、2001年から2005年まで再びカープの監督を務めました。Wikipediaの「山本浩二」のページには監督通算成績として「1358試合648勝621敗29分」と記載されていますが、648+621+29=1298ですから、これは誤りです。

同ページの「監督としてのチーム成績」に記載された数値10年分を足し算すると「1359試合649勝681敗29分」になります。計10年の通算で「681敗29分け」となるのは正しいはずですが、複数のWebサイトにおいて「1358試合648勝」と記載されています。

★「1358試合648勝」派
 http://www.sponichi.co.jp/baseball/japan/hoshinojapan/member/coach.html
 http://ja.wikipedia.org/wiki/プロ野球監督
 その他多数

★「1359試合649勝」派
 http://www.baseball-museum.or.jp/baseball_hallo/news/halloffame2008_01.html
 http://gararoom.hp.infoseek.co.jp/kantoku.html
 http://www.din.or.jp/~nakatomi/record/total/index_ka.html

『ベースボール・レコード・ブック』2006年版によれば、山本氏は05年4月23日に監督通算600勝を達成しています。同年のカープはその後49勝して、閉幕後に山本氏は退任しました。この間に山本氏がたとえば風邪で1試合だけ欠場して三村コーチあたりが代行を務めて勝ったのだとすれば「1358試合648勝」が正しいわけです。

その場合、私は今掲載している数値を訂正する必要があります。単に勝利数と勝率の訂正では済まず、当該試合の得点と失点を差し引く必要があるのです。山本監督欠場の試合を特定できない以上、私としてはその旨をお断りして、当面「1359試合649勝」に乗らざるを得ません。

究極的には、スポニチさんと野球体育博物館のどちらが正しいのかということになりそうですが、05/04/24から同年閉幕までの期間に山本氏が欠場したという情報をお持ちの方はぜひご教示をお願いします。

対象となるのは49試合です。監督が欠場すれば必ず記事になります。縮刷版等を1試合ずつ確認していくことは不可能ではありませんが、監督退任時の記事に通算勝利数が掲載されているかもしれませんので、ご確認いただけると幸いです。

ちなみに、Wikipediaの「プロ野球監督」のページでは06/04/20に「1358試合648勝」が出現しています。スポニチさんの記事は山本氏が全日本コーチに就任した07年1月以降に掲載されたもののようです。まあ、スポニチさんがWikipediaをパクったのではなくて、たまたま同じように間違ったのかもしれませんし、まだ「1359試合649勝」が正しいと決まったわけでもありません。はい。

Posted by ワトソン君 - 2007.02.13,Tue

=「2代目んだ」より移記=

「神宮のアンリ・ルソー」を「茜色と漆黒とアンリ・ルソー」に改題して「野球場」に移しました。同時に「リトルシニア選手権」を削除しました。「シニア」の残り2ページは「スコアとルール」に移します。

ところで、「神宮のアンリ・ルソー」は次のような書き出しで始めていました(今回削除しました)。

「アルジェの女たち」や「キオス島の虐殺」などで知られる19世紀フランスの画家・ドラクロワは、その少年時代に万引きで警官に追われてルーブル美術館に逃げ込んだそうだ。ほどなくドラクロワは捕まったという。

なぜなら、ドラクロワ少年は、ある絵の前で感動のあまり立ちすくんでいたからだ。少年は警官に「おまわりさん、おいら絵描きになるよ」と語ったらしい。できすぎた話だから、本当かどうかは知らない。

ネットで検索してみても、これに類するエピソードを見つけることができません。何で読んだのか、あるいはTVなのか、誰かに聞いたのか、まったく記憶にないのですが、どなたかこの話をご存知でしょうか? もし、ご存知であれば、何で知ったか教えていただけると嬉しいのですが…。

=以下、コメントです=

posted by 虹 | 2007/02/21 4:48 PM |

こんにちは。はじめまして。

私は高校で美術部に入っておりました。
その頃、立原あゆみさんのコミック本で読んだと記憶しております。
万引少年がルーブル美術館に逃げ込んで、何かの絵の前で感動のあまり立ちすくんでしまって、お巡りさんに捕まったエピソードでした。

主人公のセリフが「なんせ、あそこは広いからね。逃げ切れる」だったように覚えております。
コミック本を借りた友達がその場面をとても気に入って、このセリフを何度も聞かされました。

一緒に図書室に行って、その画家の画集を見たこともあります。
自由の女神の絵を覚えておりますので、やはりドラクロワだと思います。

本の題名は友達も忘れておりましたが、「麦ちゃん」や「桜桃物語」でないのは間違いありません。ビーラブKCかも知れません。
お蔭様で懐かしい想い出に話が弾みました。お役に立てなくて申し訳御座いません。

posted by 篠原 | 2007/02/22 10:17 AM |

メールのほうも拝見しました。ありがとうございます。立原あゆみは何冊か読んでいます。年代的にも一致しますので、私も同じものを読んだのだと思われます。

作品の一覧を見ても、タイトルだけではピンと来るものはありませんでした。この件はとりあえず「塩漬け」としますが、もし作品名がおわかりの方がおられましたら、引き続き情報をお寄せください。騙されて?読んでみるかもしれません。

立原あゆ「み」で思い出したましたが、少年ドラマシリーズのテーマソングだった『巣立つ日まで』の作詞が立原あゆ「む」です。同一人物なのか気になります。

Posted by ワトソン君 - 2007.02.02,Fri

=「2代目んだ」より移記=

故田中角栄氏は首相在任当時の論文(「自分のための…」では「演説」になっていますので、のちほど訂正します)で、次のように述べています。まあ、実際にはゴーストライターが書いたに決まっていますが…。

http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/exdpm/19730900.S1J.html
「魚を与えれば一日の飢えをしのげるが、魚の釣りかたを教えれば一生の食を満たせる」という中国の古典の教えは、まことに示唆に富んだものというべきである。

では、「中国の古典」とは何なのでしょうか? 次のWebページには、「老子の言葉」であると特定されています。

http://godiego-web.hp.infoseek.co.jp/english/proverbs/proverbs2/proverb229.htm
Give a man a fish and you feed him for a day. Teach him how to fish and you feed him for a lifetime.
―人に魚をあげれば彼は一日食べさせられる。彼に魚の釣り方を教えれば一生食べさせられる―
解釈~ このことわざは老子(Lao Tzu)の言葉を訳したもので、人に物をあげるよりも、その作り方を教える方が本当にもらう人のためになるというたとえです。

さて、私はこの言葉を何かの本で「ユダヤの伝承」だと読んだ記憶があります。実際、「ユダヤの格言」として紹介しているWebページもあります。

http://www.sugawaraonline.com/SeminarSite/information.htm
大学の勉強は、知識を授けてもらうことではありません。自分で見つけ出して、自分で創り出すのです。「猫に魚一匹を与えれば、その日一日は飢えない、されど、猫に魚の獲り方を教えれば、一生飢えない」というユダヤの格言を決して忘れないで下さい。そして、一生飢えない猫になってください。

先の英文「Give … lifetime.」を検索してみると、100万件以上のページがヒットします(「Google」の「ウェブ全体から検索」、07/02/02現在)。大元が老子であるにしても、英語圏でかなり浸透しているポピュラーな格言であることは間違いないわけです。

もし、『老子』の第何章に記述されているのかご存知の方がおられましたら、ご教示をお願いします。

=以下、コメントです=

posted by 兵六 | 2007/02/03 6:59 PM |

混乱を誘うだけですみません。東南アジア説を発見しました。

http://www18.ocn.ne.jp/~toki/newpage42.html
:::(ここから):::
東南アジアのほうのことわざでこんなのがあった。
『飢えた人に魚を取ってあげたら、その人は一日、飢えずに済む。でも魚の取り方を教えてあげたら、その人は一生、飢えないで済む』
:::(ここまで):::

posted by 兵六 | 2007/02/03 7:13 PM |

連続投稿すみません。有力情報かもしれませんので。中国説危うし?

http://www.soka.ac.jp/news/info/voice/v34.html
:::(ここから):::
ユダヤ社会には掟がある。子供に魚を一匹与えれば、その子供は一日生きられる。だがその子供に魚の取り方を教えれば、その子は一生食べて行くことができる。
:::(ここまで):::

posted by 篠原 | 2007/02/04 12:05 PM |

> 東南アジア説を発見

東南アジアがルーツで、それが東西に分岐した、なんて可能性もあったりして。

> 中国説危うし?

ユダヤ説は確実だと思われますが、中国説はまだ裏づけがないんですよねえ。

Posted by ワトソン君 - 2006.12.22,Fri

=「2代目んだ」より移記=

たしか9月か10月だったと思いますが、1952年の縮刷版をめくっていたら、同年都市対抗出場の京都クラブにつき8回目の出場と記載されていました。京都クラブで出場したのはこの1回きりですが、全京都(6回)と京都協会(1回)を足すと、「8」回になります。先日、1948年のマイクロフィルムを調べてみたところ、全京都の出場回数が6回になっていました。京都代表の出場チームは次のとおりです。

1929(昭和4)年 全京都
1930(昭和5)年 全京都
1931(昭和6)年 全京都
1940(昭和15)年 京都協会
1946(昭和21)年 全京都
1947(昭和22)年 全京都
1948(昭和23)年 全京都 ~6回目
1949(昭和24)年 大丸
1950(昭和25)年 大丸
1951(昭和26)年 西京貨物
1952(昭和27)年 京都クラブ ~8回目
1953(昭和28)年 旋風クラブ

48年全京都の出場回数が6回目なら、全京都と京都協会は無関係ということになります。全京都、西京貨物、京都クラブの3者間に継続性が認められるなら、48年の全京都が6回目で、52年の京都クラブが8回目になります。ただ、私の記憶では西京貨物はまったく別チームだったはずです。再度調べてみるつもりですが、この辺りの継続性につき、ご存知の方がおられましたら、ご教示いただけると幸いです。

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